研究概要

はじめに

私は、金沢大学がん研究所(現在のがん進展制御研究所)および東京大学医科学研究所において、プロテアーゼによる正常およびがん組織の制御に着目した研究に取り組んできました。そこでまずは、プロテアーゼが組織の制御に如何に重要かをご紹介します。 組織中での細胞の増殖、分化、死、形態、機能等は、細胞の内部および外部における複雑な情報伝達ネットワークによって制御されています。そして、その結果が組織および器官の機能として反映されます。組織中での細胞間の情報伝達手段は、増殖因子、サイトカイン、ケモカインなどの可溶性因子に加えて、細胞・細胞間接着、細胞・細胞外基質間接着など構造的情報も重要であり、しかもそれらが相互にクロストークしあって高次の細胞制御システムを形成しています。

なぜ組織制御にプロテアーゼが重要なのか?

細胞内の情報は、タンパク質のリン酸化、メチル化、アセチル化、水酸化、ユビキチン化など様々な翻訳後修飾に関与する酵素の機能を介して伝達されます。タンパク質のプロテオリシス(ペプチド鎖の切断)は、翻訳後修飾から見落とされることが多いのですが、タンパク質機能を不可逆的に変換する重要な翻訳後修飾の一つであり、細胞機能を制御します。一方で、組織中の細胞外スペースを見てみると、細胞外タンパク質の翻訳後修飾の種類は限られています。そこでは、プロテアーゼが翻訳後修飾系としてとりわけ重要な役割を担っています。すべての細胞外タンパク質は細胞外プロテアーゼの標的であり、切断されることにより機能が消失したり変化したりします。切断部位の違いやそれらの組み合わせに応じて、切断産物の機能も多様となります。プロテアーゼにより、重要な機能ドメインの一部が切り取られたりすると、タンパク質の活性や機能は変化します。細胞外基質はサイズが大きなタンパク質も多く、複雑なドメイン構造を持っています。異なるプロテアーゼによる異なる部位の切断によって、いろいろな機能単位を持つ断片を生じることで、複雑な制御を可能にします。このように、プロテアーゼは組織における細胞外タンパク質の量的・質的制御を担う中心的な分子です。従って、プロテアーゼによる組織のダイナミックな情報伝達制御システムを正確に理解する為には、酵素、基質タンパク質、切断部位に依存した機能変化の関係が一つ一つ明らかになっていく必要があります。しかし、そのための簡便で系統だった解析手法は、ゲノミクスやプロテオミクスのようには確立されておらず、地道な研究手法に頼らざるを得ません。

細胞外プロテアーゼの種類

プロテアーゼは、活性中心部位の特徴から分類されます。細胞外プロテアーゼのほとんどは、セリンプロテアーゼかメタロプロテアーゼに属しています。これらの酵素はさらに、進化上保存された構造を持つプロテアーゼファミリーに分類されます。メタロプロテアーゼに属するファミリーにも多数ありますが、マトリックスメタロプロテアーゼファミリー(MMP)、アダムプロテアーゼファミリー(ADAM)、アスタチンファミリーなどは相互に類似したグループに属しており、代表的な例です。セリンプロテアーゼも同様にいくつかのファミリーに分類されます。プロテアーゼファミリーはそれぞれに特徴的な基質タンパク質に作用しますが、基質特異性は酵素によって選択性が高いものから低いものまで存在します。たとえば、MMPは細胞外基質タンパク質の分解を担当する主たる酵素です。しかし、、MMP以外にもADAM、セリンプロテアーゼ、カテプシンなどもMMP基質に作用することが知られています。 プロテアーゼがどのようなタンパク質を基質とするかは、それぞれの酵素の基質特異性に加えて、酵素の発現量、発現時期、発現細胞、不活性型から活性化への変換を担う活性化酵素、酵素の局在場所、インヒビターの存在などによって複雑に制御されます。プロテアーゼの存在場所を規定する因子にはいろいろありますが、分泌型プロテアーゼや膜型プロテアーゼの違いは重要です。膜型プロテアーゼの場合は、酵素を発現する細胞の表面のみで限局した作用を示す特徴を持ちます。一方で、分泌型プロテアーゼは、発現細胞から分泌されて遠隔部位に到達し、そこで活性化され、標的基質に作用します。

がんと細胞外プロテアーゼ:特にMMPについて

がんは細胞の異常増殖を特徴とした組織の病気です。進行がんは、しばしば非常に浸潤性が強く、周囲の組織に浸出しながら増殖します。このようながん細胞は組織間の移動も容易に行い、遠隔転移を引き起こす能力も高くなります。がん細胞の浸潤は、組織の破壊と再編を伴っており、そこにはプロテアーゼの働きが必要です。実際、がん組織では様々な細胞外プロテアーゼの過剰発現や活性の亢進が認められています。このことから考えると、浸潤に関わるプロテアーゼ活性を抑制してやれば、がんの治療が可能ではないかと考えられます。20年以上前から、このようなアイデアに基づいてMMP阻害剤の開発が製薬企業によって進められていました。しかし、臨床的に良好な結果を示すことができずにことごとく失敗に終わっています。 なぜでしょうか?ここで、MMPは複数の基質に対して作用することを思い出す必要があります。プロテアーゼの生理的なアウトプットは切断された基質の機能を反映します。MMPが基質を切断することによってがんを促進する側面だけが大きく取り上げられて研究されてきましたが、基質によってはむしろ切断された断片が、がん細胞の増殖や転移を抑制的に制御する場合もがあり得ます。実際に、MMP阻害剤の投与によって、がんが増悪した例が報告されています。MMP-8についはがん抑制遺伝子産物的役割も明らかにされています。また、MMPやADAMは活性中心の構造が似ているために、阻害剤が複数の酵素に作用する可能性があり、生体内の薬剤濃度での影響の範囲を正確に知ることが困難であるという問題もありました。

膜型マトリックスメタロプロテアーゼ(MT1-MMP)の役割

MT1-MMPは、MMPファミリーに属する膜型酵素として私達が報告したプロテアーゼです(Sato, H. et al. Nature, 1994)。それまでに知られていたMMPはすべて可溶性酵素であったために、膜型酵素のとしては初めての報告でした。最初に同定されたMT1-MMPの基質はMMP-2であり、MMP-2を生理的な条件下で活性化できる初めての酵素でした。MMP-2は基底膜浸潤の中心的な酵素と考えられていたので、MT1-MMP/MMP-2は基底膜浸潤に関わるプロテアーゼ活性化カスケードとして注目されました。現在までに、様々なMT1-MMPの基質が同定されており、その結果として細胞の増殖や浸潤などが制御される複数の経路が存在することがわかっています。例えば、細胞近傍でのI型コラーゲン分解は、組織中でコラーゲンに囲まれて存在する細胞の増殖や浸潤に必要です。それ以外にも、多様な細胞外基質、膜タンパク質、増殖因子など組織や細胞機能に関わるタンパク質に作用して制御しています。我々が最近着目しているのは、細胞増殖因子や受容体に対する作用です。例えば、MT1-MMPは細胞増殖因子であるHB-EGFの抑制に関わる部分を切り取って活性を増強させますし、EGF受容体シグナルを抑制的に制御するEphA2のリガンド結合部位を切断して、その機能を遮断します。すなわち、MT1-MMPが発現すると、その細胞が増殖に向かうアクセルを踏むことになりますし、同時に増殖のブレーキを解除することにもなります。MT1-MMPが膜型酵素であるということの重要なポイントは、MT1-MMPの作用が発現細胞にダイレクトにフィードバッックされることです。すなわち、MT1-MMPは本酵素を発現する細胞の機能を変換する強力な制御因子となります。

MT1-MMP遺伝子を欠損するマウスは、胎児の段階から骨形成に異常があり、生後数週間で死亡します。コラーゲンの分解異常と組織の異常が観察されており、MT1-MMPのプロテアーゼ活性の重要性が示された結果です。一方で、この欠損マウスではマクロファージのATP産生が低下し、エネルギーを必要とする運動能が著しく低下することも見出しました。マクロファージのエネルギー産生はミトコンドリアに非依存的で、解糖系に依存します。MT1-MMPはマクロファージの解糖活性の維持に重要あることが明らかとなり、ATP産生への影響の理由が明らかになりました。プロテアーゼとしてのMT1-MMPからみると意外なことに、解糖活性の維持に必要なのはMT1-MMPの細胞内の20アミノ酸でした。この部分を介して、低酸素応答性転写因子であるHIF-1が活性化され、HIF-1の標的遺伝子である解糖系酵素の産生量が増えることがATP産生に寄与していました。HIF-1の活性化は低酸素で起こることが知られていますが、MT1-MMPによるHIF-1の活性化に低酸素は必要でありません。マクロファージが炎症部位に移動するときには酸素濃度の勾配に逆らって移動することも必要です。おそらくは、酸素分圧に影響されないエネルギー産生システムとして、酸化的リン酸化ではなく好気的解糖系が使われているのだろうと考えます。

解糖系の亢進は、がん細胞の特徴の一つでもあります。この現象はワーブルグ効果として古くから知られていました。この現象は、がんのPET診断の原理としても使われています。がん細胞でも、通常酸素分圧下にもかかわらずHIF-1の活性が亢進することが知られており、ワーブルグ効果の原因です。がん細胞でも、マクロファージと同様のMT1-MMP依存性のHIF-1活性化メカニズムが働いており、MT1-MMPの発現を抑制するとHIF-1活性も抑制されます。すなわち、がん細胞の増殖や浸潤を促進するMT1-MMPはワーブルグ効果を引き起こす因子でもあることがわかりました。

がんの悪性化とMT1-MMP

MT1-MMPはコラーゲンをはじめとする細胞外基質を分解することから、がんの浸潤・転移を促進するドリルのような酵素と考えられます。ヒトの各種のがん細胞においてもMT1-MMPが発現していることが報告されています。一方、正常上皮細胞ではMT1-MMPの発現はほとんどないことから、細胞のがん化および悪性化に伴ってMT1-MMPの発現が引き起こされると考えられています。特に、悪性がん細胞の浸潤および転移形質と強い関連が示唆されている上皮間葉転換(EMT)を誘導する因子は、がん細胞にMT1-MMPの発現を誘導することが報告されています。EMTを制御する遺伝子発現プログラムは、個体の発生の段階で主として使われていますが、成体に於いても炎症や創傷治癒過程でも使われています。EMT誘導刺激を受けると、細胞の機能を転換させるために多くの遺伝子発現が影響を受けます。MT1-MMPはEMTを引き起こす時の標的遺伝子産物の一つと考えられます。一方で、MT1-MMPは、周辺組織の分解、増殖因子シグナル活性化、その抑制経路の遮断、細胞内での糖代謝活性の亢進によるワーブルグ効果と、異なる分子経路を使いながら細胞の増殖、浸潤、転移に関わる細胞機能を制御するので、EMTを実行する分子の中でも上位に位置するハブ的な分子であると言えそうです。

MT1-MMP関連経路の遮断によるがん治療の可能性

MT1-MMPは魅力的ながん治療の標的と考えられますが、実験的にもMT1-MMPの発現がないとがん細胞の造腫瘍性、浸潤・転移が強く抑制されます。低分子化合物によるMT1-MMP特異的な阻害剤開発は困難ですが、きわめて特異的な阻害抗体が外国のベンチャー企業により開発されています。この抗体投与はマウスの腫瘍に対して高い治療効果を示します。今後、ヒトでの安全性および治療有効性の評価が進むものと思われます。私たちのグループでも、MT1-MMPに対する阻害抗体や阻害ペプチドの開発を行っており、成果を得つつあります。しかし、MT1-MMPの酵素活性を阻害しても、酵素活性に非依存的なワーブルグ効果までは抑制できません。MT1-MMPによってHIF-1活性化に到る経路はがん細胞だけではなく、がん組織の間質細胞でも使われていいます。これらを抑制する化合物をスクリーニングして薬剤候補を取得しており、マウスの実験的な腫瘍形成と転移が抑制できることを見出しています。さらに抗腫瘍活性の高い化合物を取得する研究を継続しています。

 

MT1-MMPおよびMT1-MMP関連分子を標的としたがん治療を開発するにあたって、がん細胞の不均一性や変幻性と関連したこれらの分子の発現と機能との関係、組織における阻害剤の標的細胞と治療効果との関係などを十分に検討する必要があります。現在、金沢大学にリサーチプロフェッサーとして赴任したチャンスを生かして、消化器内科の金子周一教授をリーダーとする超然プロジェクトグループとの共同研究により、肝臓がん、胆管がん、膵臓がんの臨床材料を用いた解析、マウスの発がんモデルや患者由来がん組織を移植したマウスを使った解析により、これらの問題に取り組んでいます。また、同グループで開発された、組織の多種類の細胞の遺伝子発現を一括して単一細胞レベルで解析できる最先端の独自技術を用いて、新たな分子標的およびバイオマーカーの解析も進めています。

 

平成28年2月